1990年に入社し、最初は鶴見工場で生産ラインのメンテナンスや増設、生産計画などに4年間携わり、本社勤務後、タイの現地法人に赴任して5年間生産部長を務め、その後、神戸の東灘工場での勤務を経て、現職に至っています。この世界では「設備屋」と呼ばれる仕事で、一貫して生産設備に関わり、併せて生産計画も担当してきました。
新人時代に日本最大の製粉工場である鶴見工場で各設備・機械やラインのレイアウトの基本を学び、生産計画の立案・実行のノウハウを身につけ、タイでは人のマネジメントを勉強させてもらいました。鶴見で初めて大規模な工場の改修工事に関わったときはちょうど新婚時代、タイへの赴任前後に二人の子供が生まれるなど、人生の節目とキャリアが重なっています。妻にはよく文句を言われましたが(笑)。
最も記憶に残っている案件は、120億円という資本を投下した東灘工場ライン増設の大プロジェクトです。首都圏に続く市場規模である阪神地区において生産体制を集約し、販売拡大体制の強化と今後の自由化に備えたコスト競争力の強化が目的です。私は生産系の一部を担当しただけですが、企画立案から関わり、メリットとデメリットを徹底的に洗い出し、1年以上かけて何度も提案しました。
このプロジェクトは、神戸工場を閉鎖して東灘工場に統合することを前提に進められており、限られた敷地内で効率的なレイアウトにしなくてはいけない、神戸工場から来る人たちが戸惑うことなく働けるようにするなど、難題がたくさんありました。投資額が莫大なぶん、責任も大きい。投資回収の計算はとても苦労しました。大変だったけれど、やりがいはありました。タイ勤務もそうですが、大変ということは、そのぶんやりがいもあるということです。
現在は、日清製粉の国内12工場・海外3工場の生産管理を担当しています。本社に異動してから、「応量部門」の技術担当者として初めて包装・出荷に関する業務効率改善を任されることになりました。その部門には素晴らしいスペシャリストがいて、製品の小袋包装機械に関して一番詳しい人、自動倉庫に関して並ぶ者がいない技術を持っている人など、「日本一」が大集合!そういう方たちと一緒に仕事ができるのは楽しいです。
この歳になって初体験の技術を学べるなど、生産管理は奥が深く、まだまだやるべきことは残されています。私はこれまでいろいろな部門を「広く浅く」見てきたほうだと思います。もちろんスペシャリストの道も魅力がありますが、若い人たちには、多様な視点を持った「ゼネラリスト」を目指してほしい。まずさまざまなフィールドで経験を積み、その中で、自分の専門領域、得意分野を見つけていけばいいのではないでしょうか。
工学部出身で語学は得意じゃなかったのですが、タイに赴任前に英語を勉強し、現地では週5日間タイ語の教室に通いました。現地のスタッフたちとコミュニケーションを深めるため積極的に話しかけ、彼らがお昼休みにやっていたサッカーにも飛び入り参加したこともあります。ユニフォームも揃えてもらい、チーム名は「マンチェスター・ユナイテッド」(笑)。タイの言葉が気に入り、2年くらい勉強して小学6年生用の国語の国家試験を受けてパスすることもできました。彼らと言葉が通じるようになったときは嬉しかったですね。
昔は自分も運動が好きで、バスケットなどをやっていましたが、今はもっぱら娘たちの応援専門です。二人が水泳教室に通う送迎に専念しています。食べたり飲んだりするのも大好きで、タイでも美味しいものをたくさん食べましたよ。特にワタリガニ料理は絶品でした。でもまあ、今は子供の成長を見ているときがいちばん幸せです。